大判例

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最高裁判所大法廷 昭和54年(行ツ)65号 判決

上告人

選定当事者

清水治一

(選定者は別紙選定者目録一記載のとおり)

上告人

選定当事者

鈴木宏

(選定者は別紙選定者目録二記載のとおり)

上告人

選定当事者

品川潔

(選定者は別紙選定者目録三記載のとおり)

上告人

選定当事者

田中睦

(選定者は別紙選定者目録四記載のとおり)

右四名訴訟代理人

越山康

山本次郎

畑良武

山口邦明

村田裕

早乙女芳司

廣川浩二

被上告人

大阪府選挙管理委員会

右代表者委員長

長谷川元一

右訴訟代理人

鎌田久仁夫

右指定代理人

柳川俊一

外八名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人山本次郎、同畑良武、同廣川浩二、同越山康の上告理由について

一本件上告理由の要旨は、(一) 憲法一四条一項、一五条二項、四三条一項及び四四条の各規定は、国会両議院の議員の選挙について、単に選挙人の資格における差別を禁止するのみならず、選挙権の内容の平等、すなわち各選挙人の投票の価値の平等をも保障するものであり、したがつて、公職選挙法(昭和五七年法律第八一号による改正前のもの。以下同じ。)四条二項所定の参議院地方選出議員についての各選挙区ごとの議員定数が選挙区の選挙人数又は人口に比例して定められるべきことも、これら憲法の規定の要求するところと解すべきである、(二) しかるに、参議院地方選出議員の定数配分を定めた公職選挙法一四条、同法別表第二(以下「本件参議院議員定数配分規定」という。)は、既にその制定の当初において、その総定数の一部を各選挙区の選挙人数又は人口に関係なく各二人ずつ配分した点において憲法の右各規定に違反するものであつたばかりでなく、その後の人口の異動に伴い、昭和五二年七月一〇日の本件参議院議員選挙の当時においては、議員一人当たりの選挙人数に選挙区間で最大1対5.26の較差が生ずるなどしていたのであつて、結局、本件参議院議員定数配分規定は、住所(選挙区)のいかんによつて一部の国民を不平等に取り扱うものであり、本件参議院議員選挙当時において憲法の右各規定に違反していたものである、(三) それゆえ、このような本件参議院議員定数配分規定に基づいて実施された本件選挙区における本件参議院議員選挙は、無効とされるべきものであるところ、これと異なる見解に立つて上告人らの請求を排斥した原判決は、憲法の右各規定の解釈、適用を誤つたものである、というのである。

二そこで検討するのに、議会制民主主義を採る我が憲法の下においては、国権の最高機関である国会を構成する衆議院及び参議院の各議員を選挙する権利は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利であつて、憲法は、その重要性にかんがみ、一四条一項の定める法の下の平等の原則の政治の領域における適用として、成年者による普通選挙を保障するとともに、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて選挙人の資格を差別してはならないものとしている(一五条三項、四四条)。そして、この選挙権の平等の原則は、単に選挙人の資格における右のような差別を禁止するにとどまらず、選挙権の内容の平等、すなわち議員の選出における各選挙人の投票の有する価値の平等をも要求するものと解するのが相当である。

しかしながら、もともと右にいう投票価値は、議会制民主主義の下において国民各自、各層のさまざまな利害や意見を公正かつ効果的に議会に代表させるための方法としての具体的な選挙制度の仕組みをどのように定めるかによつてなんらかの差異を生ずることを免れない性質のものである。そして、憲法は、国会両議院の議員の選挙について、およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(四三条、四七条)、どのような選挙の制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国会に反映させることになるかの決定を国会の極めて広い裁量に委ねているのである。それゆえ、憲法は、右の投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一、絶対の基準としているものではなく、国会は、正当に考慮することのできる他の政策的目的ないし理由をもしんしやくして、その裁量により衆議院議員及び参議院議員それぞれについて選挙制度の仕組みを決定することができるのであつて、国会が具体的に定めたところのものがその裁量権の行使として合理性を是認しうるものである限り、それによつて右の投票価値の平等が損なわれることとなつても、やむをえないものと解すべきである。

以上は、最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日大法廷判決(民集三〇巻三号二二三頁)の趣旨とするところでもあつて、いまこれを変更する要をみない。

三以上のような見地に立つて、本件についてみるのに、公職選挙法は、参議院議員の選挙については、衆議院議員のそれとは著しく趣を異にする選挙制度の仕組みを設け、参議院議員を全都道府県の区域を通じて選挙される全国選出議員と都道府県を単位とする選挙区において選挙される地方選出議員とに区分している(四条二項、一二条一項、二項、一四条、別表第二)。そして、右地方選出議員の各選挙区ごとの議員定数を定めた本件参議院議員定数配分規定は、昭和四六年法律第一三〇号により沖縄の復帰に伴い新たに同県の地方選出議員の議員定数二人が付加されたほかは、参議院議員選挙法(昭和二二年法律第一一号)別表の定めをそのまま維持したものであつて、その制定経過に徴すれば、憲法が参議院議員は三年ごとにその半数を改選すべきものとしていることに応じて、各選挙区を通じその選出議員の半数が改選されることとなるように配慮し、総定数一五二人のうち最小限の二人を四七の各選挙区に配分した上、残余の五八人については人口を基準とする各都道府県の大小に応じ、これに比例する形で二人ないし六人の偶数の定数を付加配分したものであることが明らかである。

公職選挙法が参議院議員の選挙の仕組みについて右のような定めをした趣旨、目的については、結局、憲法が国会の構成について衆議院と参議院の二院制を採用し、各議院の権限及び議員の任期等に差異を設けているところから、ひとしく全国民を代表する議員であるという枠の中にあつても、参議院議員については、衆議院議員とはその選出方法を異ならせることによつてその代表の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせようとする意図の下に、前記のように参議院議員を全国選出議員と地方選出議員とに分かち、前者については、全国を一選挙区として選挙させ特別の職能的知識経験を有する者の選出を容易にすることによつて、事実上ある程度職能代表的な色彩が反映されることを図り、また、後者については、都道府県が歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し一つの政治的まとまりを有する単位としてとらえうることに照らし、これを構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものであると解することができる。

そうであるとすれば、公職選挙法が参議院議員の選挙について定めた前記のような選挙制度の仕組みは、国民各自、各層の利害や意見を公正かつ効果的に国会に代表させるための方法として合理性を欠くものとはいえず、国会の有する前記のような裁量的権限の合理的な行使の範囲を逸脱するものであるとは断じえないのであつて、その当否は、専ら立法政策の問題にとどまるものというべきである。上告人らは、両議院は全国民を代表する選挙された議員でこれを組織すると定めた憲法四三条一項の規定は参議院地方選出議員の議員定数の各選挙区への配分についても厳格な人口比例主義を唯一の基準とすべきことを要求するものであり、右のように地域代表の要素を反映した定数配分は憲法の右規定に違反する旨主張するけれども、右規定にいう議員の国民代表的性格とは、本来的には、両議院の議員は、その選出方法がどのようなものであるかにかかわらず特定の階級、党派、地域住民など一部の国民を代表するものではなく全国民を代表するものであつて、選挙人の指図に拘束されることなく独立して全国民のために行動すべき使命を有するものであるとしうことを意味し、右規定が両議院の議員の選挙の仕組みについてなんらかの意味を有するとしても、全国を幾つかの選挙区に分けて選挙を行う場合には常に各選挙区への議員定数の配分につき厳格な人口比例主義を唯一、絶対の基準とすべきことまで要求するものとは解されないし、前記のような形で参議院地方選出議員の選挙の仕組みについて事実上都道府県代表的な意義ないし機能を有する要素を加味したからといつて、これによつて選出された議員が全国民の代表であるという性格と矛盾抵触することになるものということもできない。

このように、公職選挙法が採用した参議院地方選出議員についての選挙の仕組みが国会に委ねられた裁量権の合理的行使として是認しうるものである以上、その結果として、各選挙区に配分された議員定数とそれぞれの選挙区の選挙人数又は人口との比率に較差が生じ、そのために選挙区間における選挙人の投票の価値の平等がそれだけ損なわれることとなつたとしても、先に説示したとおり、これをもつて直ちに右の議員定数の配分の定めが憲法一四条一項等の規定に違反して選挙権の平等を侵害したものとすることはできないといわなければならない。すなわち、右のような選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を基本とする選挙制度の場合と比較して一定の譲歩、後退を免れないと解せざるをえないのである。したがつて、本件参議院議員定数配分規定は、その制定当初の人口状態の下においては、憲法に適合したものであつたということができる。

四ところで、以上のようにその制定の当初においては憲法に適合するものと認められた本件参議院議員定数配分規定による議員定数の各選挙区への配分も、その後の人口の異動に対応した是正措置が結局講ぜられなかつたことにより、昭和五二年七月一〇日の本件参議院議員選挙の当時においては、選挙区間における議員一人当たりの選挙人員の較差が最大1対5.26に拡大し、また、選挙人数の多い選挙区の議員定数が選挙人数の少ない選挙区の議員定数よりも少なくなつているといういわゆる逆転現象が一部の選挙区においてみられたことは、原審の確定するとおりであつて、その限りでは、当初における議員定数の配分の基準及び方法と右のような現実の配分の状況との間にそごを来していることは否定しえない。

しかしながら、社会的、経済的変化の激しい時代にあつて不断に生ずる人口の異動につき、その政治的意味をどのように評価し、政治における安定の要請をも考慮しながら、これをいつどのような形で選挙区割、議員定数の配分その他の選挙制度の仕組みに反映させるべきか、また、これらの選挙制度の仕組みの変更にあたつて予想される実際上の困難や弊害をどのような方法と過程によつて解決するかなどの問題は、いずれも複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要求するものであつて、その決定は、これらの変化に対応して適切な選挙制度の内容を決定する責務と権限を有する国会の裁量に委ねられているところである。

したがつて、人口の異動が生じた結果、それだけ選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差が拡大するなどして、当初における議員定数の配分の基準及び方法とこれらの状況との間にそごを来したとしても、その一事では直ちに憲法違反の問題が生ずるものではなく、その人口の異動が当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせ、かつ、それが相当期間継続して、このような不平等状態を是正するなんらの措置を講じないことが、前記のような複雑かつ高度な政策的な考慮と判断の上に立つて行使されるべき国会の裁量的権限に係るものであることを考慮しても、その許される限界を超えると判断される場合に、初めて議員定数の配分の定めが憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、参議院議員の任期を六年としていわゆる半数改選制を採用し、また、参議院については解散を認めないものとするなど憲法の定める二院制の本旨にかんがみると、参議院地方選出議員については、選挙区割や議員定数の配分をより長期にわたつて固定し、国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能をそれに持たせることとすることも、立法政策として許容されると解されるところである。これに加えて、原審の認定する事実関係に徴すると、参議院地方選出議員の選挙について公職選挙法が採用した二人を最小限とし偶数の配分を基本とする前記のような選挙制度の仕組みに従い、その全体の定数を増減しないまま本件参議院議員選挙当時の各選挙区の選挙人数又は人口に比例した議員定数の再配分を試みたとしても、なおかなり大きな較差が残るというのであつて、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差の是正を図るにもおのずから限度があることは明らかである。そして、他方、本件参議院議員定数配分規定の下においては、前記のように、投票価値の平等の要求も、人口比例主義を基本として選挙区割及び議員定数の配分を定めた選挙制度の場合と同一に論じ難いことを考慮するときは、本件参議院議員選挙当時に選挙区間において議員一人当たりの選挙人数に前記のような較差があり、あるいはいわゆる逆転現象が一部の選挙区においてみられたとしても、それだけではいまだ前記のような許容限度を超えて違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足らないものというべきである。したがつて、国会が本件参議院議員選挙当時までに地方選出議員の議員定数の配分を是正する措置を講じなかつたことをもつて、その立法裁量権の限界を超えるものとは断じえず、右選挙当時において本件参議院議員定数配分規定が憲法に違反するに至つていたものとすることはできない。

五以上の次第であるから、本件参議院議員選挙当時において本件参議院議員定数配分規定が憲法一四条一項等の規定に違反するものであったとする上告人らの主張は理由がなく、上告人らの本訴請求を排斥した原判決は正当として是認すべきである。論旨は、ひつきよう、上記説示と異なる独自の見解に立つて原判決の不当をいうに帰し、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官伊藤正己、同宮﨑梧一、同大橋進の各補足意見、裁判官横井大三、同谷口正孝の各意見、裁判官団藤重光、同藤﨑萬里の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官伊藤正己の補足意見は次のと おりである。

私は、本件参議院議員定数配分規定が、その制定当初においても、また本件参議院議員選挙当時においても、憲法一四条一項等の規定に違反するもの ではないと解する多数意見に同調し、それを違憲とする本件上告理由は理由がないと考えるのであるが、多数意見の説示、特に憲法一四条一項の規定の 解釈適用に関する説示には、十分に納得させるに足りる根拠が示されていない憾みがなくはないと思われるので、この機会に私の補足意見を述べておき たい。

一 思うに、近代の民主制の下においては、国民は、個人として平等の価値を有するものと考えられ、具体的な人間存在として多くの差異があるにも かかわらず、すべての国民が法の下に平等に取り扱われる。特に、国政に参与するための国民の能動的権利である選挙権については、一定の年齢に達し たすべての国民に一票が与えられ、かつ一票を超える投票数を与えられないといういわゆる平等選挙が重要な原則とされ、代表民主制の発展に伴つて、 この一人一票の原則が実現されてきた。本件においては、このように国民各自が一票を持つことのみならず、その一票そのものの持つ価値の等しいこ ともまた憲法によつて要求されるところであるかどうかが問題とされている。もしもこれもまた憲法の要求であるとすれば、全国を一選挙区とするの であればともかく、それを複数の選挙区に分け、それぞれに一定の議員定数を配分する場合には、その定数と人口(選挙人数)との比率の均等が求められ ることとなる。当裁判所は、この点について、憲法一四条一項に定める法の下の平等は、選挙権の内容の平等、すなわち各選挙人の投票の価値の平等を も憲法の要求するところであると判示している(最高裁昭和四九年喬〉第七五号同五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁。以下「五一 年大法廷判決」という。)。いまこの五一年大法廷判決の趣旨を変更する必要のないことは、多数意見の説くとおりである。

もつとも、五一年大法廷判決は衆議 院議員の選挙に関するものであるから、本件のような参議院議員の選挙について妥当するものではなく、それは別に考えなけれぽぱならないとの見解 もありえよう。もしそうであるとすると、参議院議員の選挙については、なお当裁判所昭和三八年(オ)第四二二号同三九年二月五日大法廷判決(民集一八 巻二号二七〇頁。以下「三九年大法廷判決」という。なお昭和三八年(オ)第六五五号同四一年五月三一日第三小法廷判決・裁判集民事八三号六二三頁、昭和四八年行ツ第一〇二号同四九年四月二五日第一小法廷判決・裁判集民事一一一号六四一頁参照。)の判例が生きていることとなる。しかしながら、参議 院が衆議院と基本的性格を異にし、それに即応して両院の組織原理が全く異なる(例えば、イギリスの貴族院、アメリカ合衆国の連邦議会の上院のごと し。)というのであればともかく、日本国憲法下においては、両院とも全国民を代表する選挙された議員で構成される(憲法四三条)のであつて、参議院 は衆議院と組織原理を全く異にするものではない。したがつて、参議院議員の選挙について投票価値の平等が憲法上要求されるとすれば、のちにみるよ うに、定数配分が合理的かどうかを、人口とともにそれ以外の要素もしんしやくして判断するにあたつて両院の差異を考慮すべきであるとしても、憲法上の投票価値の平等の要求は、参議院議員の選挙についても妥当するものといわざるをえない。五一年大法廷判決は、衆議院議員の選挙のみでなく、参 議院議員の選挙についても判断を示しているものと考えられる。その意味で、三九年大法廷判決は、必ずしもその趣旨が明確ではないが、もし参議院議員 の選挙について憲法上投票価値の平等が要求されていないものと判示しているとすれば、その限度で、五一年大法廷判決によつて変更されているとみる ほかはない。

二  このようにして、憲法一四条一項の規定は、参議院議員を含めて国会議員の選挙についての投票価値の平等 を要求していると解されるが、そのことは、直ちに人口のみを基準として各選挙区に議員定数を配分すべきことを意味するものではない。国会は投票価 値の平等のほかにもしんしやくできる事項を考慮して公正かつ効果的な代表という目標の実現のために具体的に適切な選挙制度を決定できるのであつ て、このことは五一年大法廷判決の明らかに示すところであり、また多数意見の説示するとおりである。

国会は、この決定にあたつて、人口 を一つの基準としつつも、それ以外の要素を考慮に入れて裁量を行うことができる。問題は、この裁量権の行使がどの範囲で許容されるかということで あるが、憲法は、この裁量権の範囲を広く認めているものと解するのが相当である。その理由は、以下に述べるとおりである。

(一)  憲法四七条は、両議院の議員の 選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律をもつて定めるものと規定しており、選挙制度をどのように定めるかは原則として立法の裁量に委ね るものとしている。そこで、選挙区をどのように定めるか、それぞれの選挙区にどのように議員定数を配分するかは、全国民の意見が国会に公正かつ効 果的に反映され、国会が真に国民代表の機関となるように配慮して、国会自身が定めるのであり、その意味でそれは立法部の広い裁量権に属する。もと よりこの裁量権の範囲が広いといつても、それは決して無制限のものではなく、国民を代表する国会議員の選挙の方法として合理性を欠き、その裁量権 の逸脱にあたるようなことは憲法上許されないのであるが、憲法四七条の規定は、選挙に関する事項について、立法政策上の当否に関し政治上問題とな る余地はあるとしても、法的には立法部の判断が尊重されるべきことを示していると解してよい。

(二)  しかし、(一)に述べたところのみ をもって、本件の問題を解決することは適切ではない。既に述べたように、憲法一四条一項の規定が投票価値の平等を要求するものである以上、選挙に 関する事項についての立法部の裁量権も、同項に基づく制限に服さねばならないからである。したがつて、ここで同項をどう解釈するかが問われねばな らないことになる。

憲法一四条一項の規定は、一般的に国民に対して法の下の平等を保障しているが、特に人種、信条、性別など同 項後段所定の事由による差別的取扱いは、個人の平等を核心とする自由国家的民主制の原則を破壊するものと考えられ、そのような差別的取扱いの合憲 性の判断には厳格な基準が適用されるべきものと解される。したがつて、このような事由によつて差別を行う立法は、違憲の疑いの強い差別的取扱いを するものであつて、通常の立法に与えられる合憲性の推定は存在せず、その立法が合憲であると主張する側において、それについての合理的な理由が存 在し、それが合憲であることを示さなければならない。

これに反して憲法一四条一項後段に挙げられていない事由による区別が行 われても、それは必ずしも自由国家的民主制の本質にかかわるものとは考えられない。その場合にも、同項前段の定める法の下の平等の保障に反すると きには平等権の侵害として違憲になるが、その区別を行う立法には合憲性の推定が存在し、このような立法が合憲がどうかを審査するにあたつては、そ の判断基準は厳格なものではなく、立法部の裁量権が広く認められることになる。例えば、年齢や職業(同項後段にいう社会的身分は、自己の意思をもつて離れることのできない地位を意味 し、職業などは、そのうちに入らないと解される。)により法的な取扱いに差異があつても、これを違憲と主張する場合には、その主張をする側において それが合理性を欠く恣意的なものであることを示さなければならないこととなる。

右のような憲法一四条一項の解釈によれぽ、選挙区への議員定数の配分が同項後段に挙げられる事由のいずれかによつて差別されていると認められる場合、例えば特定の信条を持つ選挙人が著しく多数を占める選挙区に配分さ れる議員定数が他に比して少数であり、信条による差別的取扱いがあると認められる場合には、厳格な基準が適用され、それは憲法上正当な理由を欠 く差別とされよう(五一年大法廷判決が、人種、信条、性別等による投票価値の差別は憲法上正当な理由を欠くものであると判示しているのも、同じ考 え方に立つものと思われる。)。しかし、一般に選挙区によつて投票価値の不平等であることが問題となるのは、同項後段所定の事由によるのではなく、国 民が居住する場所によつて差別的扱いを受ける場合であり、上告人が本件参議院議員定数配分規定の違憲の理由として主張するところも、住所地を異に することによる投票価値の較差の存在である。これは、同項後段所定の事由に基づくものではないから、前述のように立法に対する合憲性の推定が働 き、国会の裁量権の範囲が広く、その立法が合理性を欠く恣意的な差別をする場合に初めて憲法に反するものということができる。

なお、この点に関して、選挙権は代表民主制における最も枢要な基本権であるから、これについて国民の間に区別が行われるときは、それがいかなる 事由によるものであるかを問わず、厳格な基準で判断すべきであるという見解もありうる。確かに選挙権に差別的取扱いがなされることは代表制に歪み を生ずるから、その平等取扱いは重要である。しかし、憲法は、国会議員の選挙人の資格について、一四条一項後段に挙げる事由のほかに、特に四四条 但し書において、教育、財産、収入による差別の禁止を明記している。したがって、国会議員の選挙人の資格については、通常の場合に比して、合憲性 の推定を受けずに厳格な判断基準が適用される場合が多いこととなる。通常の場合には、教育、財産、収入による差別的取扱いも、一四条一項前段にあ たる場合となるが、選挙権に関する限り、これらの事由による差別も合理性を欠くものとされる。この点で憲法は選挙権の平等について特別の配慮をし ているのであり、その配慮以上に選挙権の平等についての憲法上の要求を強める解釈は適当ではないと考えられる。

また、選挙区間において議員定数と 人口との比率に多少の較差があるのはともかく、重大な較差があるときには、合憲を主張する側が、その較差にもかかわらず合憲であるための合理性を持 つことを示す必要があり、それが示されない限り違憲となるという見解もありうるが、比率の較差の大小のみをもつて判断基準が厳格なものに転換し、 合憲性の推定が失われるとするのは、憲法一四条一項の解釈として説得力を持ちえないと思われる。

三  以上のように考えると、憲法は、 投票価値の平等を要求しているが、合理的な理由に基づく差別的取扱いをすることは許容するものであり、しかも、それが合理的であるかどうかの判断に ついては立法部の裁量に委ねられるところが広く、選挙区間における議員定数と人口との比率の較差は、それが明らかに不合理で恣意的な差別であるこ とが示されたときに違憲と判断されると解するのが相当である。裁判所が憲法一四条一項、四四条但し書等の規定を根拠として、国会議員の選挙につい て厳しい基準をもつて投票価値の平等を求め、人口との比率のみを盾に取つて立法部の定める議員定数の配分を違憲と断ずることは憲法上適切でなく、 許容される裁量権の範囲を逸脱する場合にのみこれを違憲とすべぎものと考えられる。

そこで、本件の場合に、上告人らの主張するような、選挙区間において議 員一人当たりの選挙人数に最大一対五・二六という大きな較差があり、またいわゆる逆転現象が一部の選挙区にみられることが、選挙区及び議員定数 の定め方についての恣意的で明らかに不合理な差別にあたるかどうかが問題とされることになる。

この点を考えるにあたつては、本件 で問題とされている参議院議員の選挙を衆議院議員の選挙と区別して考えることが必要である。衆議院は国民一般を代表し優越性を持つ議院であり、そ の議員の選挙においては、人口に基づいて議員定数を配分することが重視されるのは当然である。もとより、この場合にも、前述したような立法部の裁 量権のあることは憲法上認められるけれども、許容される裁量の幅は、その性質上参議院議員の選挙の場合に比して狭いものといわざるをえない。これ に反して、参議院もまた「全国民を代表する選挙された議員」をもつて組織されるが、もしこれを衆議院と同じように人口比率を重視して選挙された議 員で構成するとすれぽ、たとえ選挙区などで両者に差異を認めるとしても、参議院は、衆議院のカーボン。コピーともいうべきものとなり、立法の審議 を陳重にすることに多少の役割を果たすとしても、衆議院の過誤を改め、その決定に修正を加え、あるいは政府と国会との間の対立を調整するという参議院に期待される機能を営むことが困 難になる。参議院はむしろ衆議院とは異なる角度から国民を代表することによつて、両院あいまつて国会が公正かつ効果的に国民を代表する機関たりう るのである。現代の社会構造が複雑であるだけに、参議院には衆議院と異なる代表原理を取り入れ、人口を基準にするのみでは十分に代表されない国民 層の種々の利益を代表させることを考えることも立法部に対して要求されるといえるし、少なくともその要求にこたえることは、立法部に許される裁量 権の行使の範囲内にあるといわねぽならない。

以上の考察を前提とすれば、参議院議員選挙の現行制度が、一方では全国選出議員の選挙については、そこでの 各選挙人の投票の価値を完全に平等なものとし、しかもそこに職能代表の要素を実際上持たせ、他方で地方選出議員の選挙については、市町村と並んで 地方自治を担うべき普通地方公共団体である都道府県を基礎とする地域代表の性質を加味して議員定数を配分していることは、衆議院とは異なる代表原 理を採用することにより、国民全体のうちに存する各種の利益を多面的に代表させるような仕組みであると理解することができる。この考え方からすれ ば、本件で争われている参議院地方選出議員について選挙区への定数配分は、その制定当初においてはもとより合憲であり、また本件参議院議員選挙 当時において議員一人当たりの選挙人数に所論のような較差があるとしても、それが明らかに不合理で恣意的な差別でありそれを是正しないことが立 法部の裁量権の逸脱にあたるとして違憲のものと判断すべきものとは考えられない。もつとも、その較差はかなり大きいものであり、またいわゆる逆転 現象の存在することは、定数配分の立法政策上の当不当の問題を生じ、その是正が期待される面もないではないが、その是正はあくまで立法部に委ね られており、この程度の較差にあつては、裁判所が介入してそれを違憲と判断することはできないというべきである。

裁判官宮崎梧一は、裁判官伊藤正己の右補足意見に同調する。

裁判官大橋進の補足意見は、次のとおりである。

原判決は、選挙人数の多い選挙区の議員定数が選挙人数の少ない選挙区の議員定数よりも少なくなつているといういわゆる逆転現象を特に問題として いるので、この点についての私の補足意見を述べておぎたい。

多数意見の判示するとおり、参議院地方選出議員の議員定数の各選挙区へ の配分について、公職選挙法は、最小限の二人を各選挙区に配分した上、残余の定数について、人口を基準とする各選挙区の大小に応じこれに比例する形で二人ないし六人の偶数の定数を付 加配分したものである。このような議員定数の配分方法によつた場合、人口の近接した選挙区の間においては若干の人口の異動があつたにすぎないとき でも容易に逆転現象が生じうるものであることは明らかであり、このような逆転現象の生ずることを常に回避しなければならないものとすれば、議員定 数の配分を頻繁に改正しなければならないこととなつて、安定的に運用されるべき選挙制度の実際にそぐわない。

そもそも、本件においては、議員定 数の配分の不均衡から生ずる個個の選挙人についての投票価値の平等が問題なのであつて、選挙区全体としての議員定数の配分の多寡が問題なのではな い。したがつて、右の投票価値の平等の問題は、専ら議員一人当たりの選挙人数の比較という角度からとらえることで十分であり、これとは別に逆転現 象を問題とする必要や余地はないと考える。

裁判官横井大三の意見は、次のとおりである。

私も、多数意見と同じく、本件上告 はこれを棄却すべきものと考える。しかし、その理由は、多数意見と異なる。私の考えは、以下に述べる通りである。

一  多数意見を要約すると、次のよ うになるであろう。

憲法一四条一項等の規定は、投票価値の平等をも要求するものである。しかし、この原則も、選挙制度の仕組み いかんにより変容を受ける。ところが、この選挙制度の仕組みをどのように構築するかは、国会の広範な裁量に委ねられている。国会は、合理性の枠を踏 み外さない限り、投票価値の平等のほか、いろいろな政策的目的ないし理由をしんしやくして選挙制度の仕組を考えることができるのである。そう考え ると、現在の参議院地方選出議員の定数配分は、その制定当初において合憲であつたぼかりでなく、人口の異動の結果、選挙区間に投票価値の著しい不 均衡が生じた今でも憲法違反とはいえない。

この私の要約にして誤りがなければ、多数意見では投票価値の平等と選挙制度の仕組みとがどういう関係に立 つのか、必ずしもはつきりしないように思われる。

二  私は、憲法が国会の構成につき二院制を採用している趣旨にかんがみ、第一院たる衆議院の議員の選挙に おいては、投票価値の平等が可能な限り実現されるように選挙制度の仕組みが考えられなければならないが、第二院たる参議院の議員の選挙において は、第二院にふさわしい選挙制度の仕組みを別に考えるべきものと思う。もちろん、第二院にふさわしい選挙制度の仕組みといつても、成人たる全国民 が人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入による差別なく参加しうるものでなければならないし、選挙された議員は全国民を代表す るものでなければならない。そのほか、投票価値の平等ということも考慮に入れるべきであろうが、それは、憲法上の要求としてではなく、妥当な選挙制 度の仕組みを考える場合の重要な要素であるにとどまるものと考える。

三  私が、投票価値の平等と選挙の仕組みとの関係につき、右のように考 えるのは、憲法制定の過程及び憲法の諸規定より帰納される衆議院及び参議院の性格並びに両院の相互関係による。

憲法制定の過程においては、国会の 構成につき、まず一院制が提案され、これに対し二院制を妥当とする反対意見が述べられたが、結局両院とも全国民を代表する選挙された議員で組織す るという規定を置くこととして二院制が採用された。そして、このように第二院を置く理由は、第一院の不当なる多数圧制に対する抑制と行ぎ過ぎた一 時的の偏りに対する制止にあるとされている。

現行憲法の規定をみると、法律案・予算の議決、条約の承認、内閣総理大臣の指名につき衆議院の優位を、衆議 院の内閣不信任決議案の可決又は信任決議案の否決には内閣に対し解散か総辞職かの二者択一を迫る効力を認める一方、衆議院が解散となつた場合その 間の国会の機能を暫定的に参議院の緊急集会をして行わせることとし、この両院の機能の差異に副うよう、衆議院議員の任期を四年とするのに対し、参 議院議員の任期を六年とした上、三年ごとに半数改選制を採つて、参議院を衆議院より息の長い機関に構成し、任期中の解散を認めないこととしてい る。

これによれば、第一院としての衆議院に対し、参議院は、第二院として衆議院の行過ぎ又は偏りを抑止することを主たる任務とするものといえよう。

四 このようにみてくると、国民の総意は何よりもまず衆議院に可能な限り正しく反映されることが必要であり、その方法として、投票価値の平等 の軸とした人口比例主義を基本原則とする選挙制度を憲法自身が予定しているものといわなけれぽならない。過疎と過密、都市と農村、都道府県その他 行政区画の広狭、その沿革や住民意識の相違などは、多数意見のいう政策的目的ないし理由に属するのであろうが、それが選挙区に対する定数配分の 増減にどう結びつくのか必ずしもはつきりしない。これに反し、人口又は選挙人数は、その多寡が配分される議員定数の多寡と正比例的に結びつく性質 を持つている。衆議院議員の選挙においては、前述した憲法上の諸規定を通じて看取される衆議院の性格に照らし、各選挙人をすべて平等な人格と想 定し、それぞれに価値の平等な選挙権を与えるべきものと考えられる。

五 しかし、右に述べたような選挙によつて衆議院に反映される国民の総 意は、その平均的意思としての総意にほかならない。年齢、経験、能力等の差異に基づく国民各自の意思は、稀釈されて右総意の中に混在させられている にすぎない。もし国民の平均的総意のみが国民の正しい意味での総意であるとするならぽ、憲法が二院制を採用し、国民の平均的総意を反映する衆議院の ほかに参議院を設ける意義に乏しいといわざるをえない。憲法が衆議院のほかに参議院を設けたのは国民の平均的総意の中にひそむ、別の、あるいは少 数ながら優れた国民の知恵を選挙を通じて汲み出し、これを国会の意思決定に参加させようとするためであると思う。

そのような国民の知恵を選挙により 国民の中から汲み出す方法として、公職選挙法は、参議院議員の選挙につき、全国選出制と地方選出制とを採用した。それが、前述した参議院の性格に 合致した議員の選出に憲法の期待する効果を上げているかどうかについては論議のあるところであろう。これをどう手直しし、また、どのような運用上 の改善を施せば、前述した参議院の性格にふさわしい議員を得ることができるかは、正に国会自身の考究すべき問題であるといわなければならない。本 件で問題となつている参議院地方選出議員の選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差をどのように取り扱うかも、よりよい参議院議員を得る のにふさわしい選挙制度創出の過程で考慮されるべき事柄にすぎない。いわゆる逆転現象についても同じである。いずれも、それだけで憲法違反の問題 を生ずるものではない。

裁判官谷ロ正孝の意見は、次のとおりである。

本件参議院議員選挙当時に選挙区間 において議員一人当たりの選挙人数に所論のような較差があつても、国会の裁量に委ねられた許容限度を超えて違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著 しい不平等状態が生じていたといえないことは、多数意見に示すとおりである。参議院議員の選挙については、その選挙制度の仕組みにかんがみて各選 挙区に対する議員定数の配分が選挙人数に応じて行われるべきであるという憲法一四条一項の規定の要求が希薄にならざるをえないことは承認できると ころである。

しかし、制定当初においては憲法に適合するものと認められた本件参議院議員定数配分規定による地方選出議員の議員定数の各選挙区への配分におい て、その後の人口の異動に対応した是正措置が採られなかつたことにより選挙人数の多い選挙区の議員定数が選挙人数の少ない選挙区の議員定数よりも 少なくなつているといういわゆる逆転現象が生じている場合については、更に検討することが必要である。この場合も議員一人当たりの選挙人数の較差 がある場合を別の角度からとらえた現象にすぎず、右較差の問題一般として論ずれば足り、逆転現象の場合を特に区別して考える必要はないとする見解 もあろう。多数意見も、このような考え方に立つものと思われる。

しかし、議員一人当たりの選挙人数につき選挙区の間で生じている較差の 問題は、較差の程度の問題、いわば量的問題として考えれば足りるが、いわゆる逆転現象の場合、より多数の選挙人を有する選挙区に対しより少数の議 員定数しか配分されないことになつており、より少数の選挙人しか有しない選挙区に対する議員定数の配分との比率が逆転した状態となつているのであ る。前者の場合は、選挙人数に応じた議員定数の配分の多寡の問題であつて、議員定数を定めるにあたつて基準となるべき投票価値の原理がなお考慮 されているものとみることができる。しかし、後者の場合、逆転現象が生じている選挙区のすべてについてそうであるとまでいわないとしても、通常人 の判断をもつてすれば逆転関係が特に顕著に生じているとみられる選挙区については、議員定数の配分の多寡という量的問題を超えてその配分について 著しい不平等を生じているというべきであり、そこではもはや投票価値の平等の原理が全く考慮されていない状態になつているといわざるをえないので ある。

このような場合についても、なお投票価値の著しい不平等の状態を生じさせる程度に達せず、国会の裁量権の許容限度を超えて違憲の問題を招くに至 つていないといいうるためには、被上告人側において特段の主張立証を必要とするものというべきである。

ところで、原判決の認定判断すると ころによれば、本件選挙当時、北海道選挙区(選挙人数三七一万人。万未満切捨。以下同じ。)の議員定数が八人であるのに対し、神奈川県選挙区(選挙 人数四四五万人)のそれは四人であり、また、大阪府選挙区(選挙人数五六〇万人)のそれは六人であつて、これらの選挙区については、選挙人の絶対数 と議員定数との関係において特に顕著な逆転関係が生じているとみるのが通常人の受け止め方であろう。そして、これらの場合につき、被上告人側にお いて前記特段の主張立証のない本件においては、議員定数の配分について著しい不平等の状態を生じ、国会の裁量権の許容限度を超えていたもの、すな わち憲法違反の状態を生じていたものというべきである。

しかしながら、右のことから直ちに本件参議院議員定数配分規定を違憲無 効のものと断ずることは困難といわざるをえない。

思うに、本件参議院議員定数配分規定は、原判決の判示するとおりその制 定当初においては憲法一四条一項の規定の要請を充たしていたものであるが、その後の人口の異動によつて次第に右の要請に適合しない状態を生ずる に至つたものというべきである。しかし、このような場合に、いかなる時点において憲法の要求に反する著しい不平等の状態に達したものと判断すべき かについては、必ずしも一義的に明白な判断基準を求め難いのであるから、右時点を確定するに困難を伴うもので、結局は第一次的には国会の適切な 判断を期待するほかなく、しかも過密区と過疎区との人口偏差が時に従い変動する可能性のある流動的なものであることに思いを致し、かつ、衆議院議 員の選挙制度に対する参議院議員の選挙制度の特殊性を考えれば、右変動に対応して議員定数配分規定の頻繁な改正をすることは相当でないぼかりか技 術上も困難であることは、容易に理解しうるところである。これらのことを考慮すると、本件参議院議員定数配分規定につき、いついかなる時点におい て是正の方途を講ずべきかは、是正の内容、選挙区間の権衡とも関連するものであり、したがつて、これらは、すべて将来の人口の異動の予測その他諸 種の政策的要因を勘案して行使される国会の合理的裁量に委ねられていると解すべきである。

このように考えれば、裁判所は、当 該議員定数配分規定による定数配分が憲法の要請する投票価値の平等に反するに至つていると考える場合においても、そのゆえをもつて直ちに右規定を 違憲と断ずべきものではなく、右に述べた合憲、違憲の判断時点確定の難易及び是正方法の難易、国会の対応態度その他諸般の事情をしんしやくし、是 正実現のために既往の期間を含めて相当期間の猶予を認めるべきものと考えられるときは、右期間内は、是正問題は未だ国会の裁量判断のための猶予期 間内にあるものとして違憲の判断を抑制すべきものとするのが相当である(最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇 巻三号二二三頁参照)。

そして、本件参議院議員定数配分規定の是正問題は、原判示選挙当時未だ国会の裁量判断のための猶予期間内に あつたものと解され、裁判所が右規定を違憲と断ずることは相当でなく、したがつて、本件参議院議員定数配分規定の下に執行された本件選挙を違憲無 効と断定することもまた困難であるといわなければならない。

以上の理由で、私は、結論においてこれと同旨の原判決は維持されるべ く、本件上告は棄却されるべきものと考える。

裁判官団藤重光の反対意見は、次のとおりである。

わたくしも、多数意見が一から三ま でに説示しているところについては完全に見解を同じくするものであつて、本件参議院議員定数配分規定がその制定当初の人口状態のもとにおいて憲法に適合するものであつたことについて疑いをさしはさむものではない。憲法が採用する二院制のもとにおいて、第二院である参議院をどのようなものと して構想するかについては――それが全国民を代表する議員で組織されるものでなけれぽならないことは当然の前提として(憲法四三条一項)――立法 府はきわめてひろい裁量権を有するものといわなければならない。わたくしが多数意見に賛同することに躊躇を感じるのは、多数意見が本件にみられる ような国会の怠慢ともいうべき単なる不作為をもその裁量権の行使に属するものと考えている点についてである。

原審認定によれば、本件参議院議員 定数配分規定による議員定数の各選挙区への配分は、その後の人口の異動に対応した是正措置がとられなかつたことによつて、昭和五二年七月一〇日の 本件選挙当時においては、選挙区の間における議員一人あたりの選挙人数の較差が最大一対五・二六に拡大していた状況にあつたというのである。最高裁昭和五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁(以下「五一年大法廷判決」という。)は、衆議院議員選挙につき各選挙区の議員一人あたりの選挙人数の較差が約一対五であつ たという事案について、その配分規定を全体として違憲の蝦疵を帯びるものと判断したのであつた。これに比較して、本件の一対五・二六というのは、 一段と大きい較差だといわなければならない。もちろん、衆議院のばあいとちがつて、参議院については、議員の三年ごとの半数改選という憲法上の要 請があり(憲法四六条)、したがつて、また、全国および地方選出議員をみとめる以上は、全体の定数を増減しないかぎり、地方選出議員の各選挙区への 定数の再配分を試みたとしても、依然としてかなり大きな較差が残るのであつて、較差の是正にもおのずから限度があることは、多数意見の説示すると おりである。しかし、わたくしは、このことを充分に考慮に入れても、なおかつ、前記のような一対五・二六という異常な較差を容易に是認するわけに は行かないとおもう。

そればかりでなく、五一年大法廷判決の事案においては八年余にわたつて改正がおこなわれないまま放置された というのであつたが、本件参議院議員定数配分規定については、昭和四六年に沖縄関係の改正があつたのを別論とすれば、昭和二五年の公職選挙法制定 以来、本件選挙にいたるまで実に二七年余の長きにわたつて放置されて来たのである(昭和四五年の国勢調査のときからとしても、ほぼ七年間放置されたことになる。)。なるほど、衆議院議 員に関する公職選挙法別表第一には、五年ごとに国勢調査の結果によつて更正するのを例とする旨の付記があるのに対して、参議院議員に関する同法別 表第二にはこのような付記は存在しないが、このような法律の次元における規定の差異が合憲性の理由づけとして援用されうるものでないことは、いう までもない。右のような付記の有無は両議院の憲法上の性格の相違に由来するものと解されるから、やはり、さかのぼつて、参議院の憲法上の特殊性が 立論の基礎とされなければならないのである。

ところで、五一年大法廷判決が「投票価値の平等もまた、憲法の要求するところである」としているのは両議院 に共通の説示とみるべきであつて、同判決は、さらに、「投票価値の平等は、常にその絶対的な形における実現を必要とするものではないけれども、国会 がその裁量によつて決定した具体的な選挙制度において現実に投票価値に不平等の結果が生じている場合には、それは、国会が正当に考慮することので きる重要な政策的目的ないしは理由に基づく結果として合理的に是認することができるものでなければならない」とし、「国会が衆議院及び参議院それぞ れについて決定した具体的選挙制度は、それが憲法上の選挙権の平等の要求に反するものでないかどうかにつき、常に各別に右の観点からする吟味 と検討を免れることができない」ものとしているのである。このような五一年大法廷判決の趣旨は、本件多数意見によつて踏襲されているものと解され る。

そうして、多数意見によれぽ、参議院議員を全国選出議員と地方選出議員とに分かつているのは、前者によつて事実上ある程度に職能代表的な色彩を 反映させるとともに、後者によつて都道府県を構成する住民の意思を集約的に反映させ、このような仕組みによつて、国民各自各層の利害や意見を公正 かつ効果的に国会に代表させるものだというのである。わたくしは、この点につき、多数意見に同調するのにやぶさかでない。憲法四三条一項が「全国 民を代表する」議員で両議院を組織するものとしているのも、このようなことを否定する趣旨とはとうてい考えられないのであつて、この点についても、 わたくしは多数意見に賛同を惜しまない。そうして、わたくしは、参議院については、かりに立法府が、たとえば人口過疎地域、過密地域に対する対策 として、都道府県の人口に対する比率を意図的にやぶるような議員定数の配分を考えて、そのような改正をしたとしても、議院が全国民を代表する議員 で組織されるという大原則に背馳しないかぎり、それは立法府の合憲的な立法裁量の範囲に属するものと考えるのである。

このように、立法府が積極的に参議 院議員選挙制度の改正をするにあたつては、きわめて広汎な裁量権をみとめられるべきであるが、しかし、本件では、前記のような異常な較差を生じて いる事態を立法府は単に看過放置して来たのである。このようなことを立法府の裁量権の行使として理解することがはたして許されるであろうか。もち ろん、立法府として、このような事態に対処するためになんらかの検討をおこなつて、その結果として、較差の存在にもかかわらず議員定数配分規定の 改正は不要であるとの結論に到達したという事実でもあれば、それは立法府の裁量権の行使とみとめられてしかるべきであろう。しかし、本件では、そ のような事実は原審によつて確定されておらず、また、たしかに国会の内外で議員定数配分規定の改正にかかる種々の活動がおこなわれてはいたが、 それらの活動の結果、国会の立法裁量権の行使として、本件参議院議員定数配分規定をそのまま維持するという結論に達したものとは、とうていみとめ ることができないのである。

このようにみて来ると、わたくしは、本件選挙当時において本件参議院議員定数配分規定は全体として違憲の状態 にあつたものとみとめざるをえないのである。ただ、これによつて本件選挙の効力がどのような影響を受けるかについては、さらに別途の考察が必要で ある。わたくしは、さきに五一年大法廷判決に関与した一人として、この点については右大法廷判決の判旨をそのまま援用する。このようにして、わた くしは、本件においては、原判決を変更して、上告人の請求を棄却するとともに、主文において本件選挙が違法である旨の宣言をするのを相当と考える のである。

裁判官藤﨑萬里の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見とは異なり、原判決を破棄し本件訴えを不適法として却下すべきであると考える。その理由は、次のとおりである。

一  多数意見は、要するに、憲法一四条一項等の規定が国会両議院の議員の選挙について投票価値の平等、すなわち、選挙の結果に対し各投票の及ぼす影響力が異なる選挙区間において実質的に等しくなるようにすることを要求するものであるとの前提に立ちつつ、本件参議院議員選挙当時において選挙区の間で議員一人当たりの選挙人数に最大1対5.26の較差があり、あるいはいわゆる逆転現象がみられたとしても、それだけでは直ちに憲法に違反するものではないとするものである。しかしながら、私は、憲法一四条一項等の規定が右のような意味における投票価値の平等までも要求しているものとすることは賛成しえないし、ひいてはこの種の訴訟が公職選挙法二〇四条の定める訴訟として許されるとすることにも賛同することができない。

二  憲法一四条一項前段にはすべての国民が法の下に平等である旨の原則がうたわれているが、同条にもその他の憲法の条章にも、国会両議院の議員定数を選挙区別の選挙人の数に比例して配分すべきことを積極的に命ずる規定は存在しない。このような憲法の規定ぶりからすれば、私は、右のような議員定数の配分の仕方をすることは、法の下における平等という憲法の原則からいつて望ましいことであるが、それは望ましいというにとどまると解すべきものと考える。このようにあることが憲法の原則上望ましいということは、それが政治の努力目標とされるべきことを意味し、法の下における平等というような憲法の原則規定にあつては、このような綱領的側面のもつ意義を軽視してはならないと思う。しかしながら、他面、これを法律的な観点からみると、単にそうすることが望ましいというだけのことであれば、たとえそれが憲法の基本原則に由来することであつても、そこから違憲の問題を生ずることはないものといわなければならない。

最高裁昭和三八年(オ)第四二二号同三九年二月五日大法廷判決(民集一八巻二号二七〇頁)は、その前段においては、憲法には議員定数を選挙区別の選挙人の数に比例して配分すべきことを積極的に命ずる規定は存在しないこと、右のような配分の仕方をすることが憲法の平等原則からいつて望ましいこと等、前述したところと同趣旨のことを述べているが、判示後段に至り、議員定数と人口との不均衡が当該事案における程度ではなお立法政策の当否の問題にとどまると述べ、不均衡がある程度以上になると違憲の問題を生ずるとするものであるかのような説示の仕方をしている。斎藤朔郎裁判官はその意見の中でこの点に疑念を表明しておられるが、私もこれに同感である。

三  ところで、本件のような訴訟が公職選挙法二〇四条の定める訴訟として許されるとする見解は、憲法が投票価値の平等を要求しているということを前提として、「国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請」(最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁多数意見参照)にこたえようとするものであるということができる。

しかしながら、先にみたように、そもそも憲法は投票価値の平等を要求しているものではないとすれば、これに反する状態を是正する「憲法上の要請」が存在するということもないわけであつて、本件のような訴訟を公職選挙法二〇四条の定める訴訟として許容する実質的理由はないことになる。当裁判所は、これまでこの種の訴訟を公職選挙法二〇四条の規定により適法に提起しうるものとして取り扱つてきているが、これらの判決において斎藤朔郎裁判官(前掲最高裁昭和三九年二月五日大法廷判決)、田中二郎裁判官(最高裁昭和三八年(オ)第六五五号同四一年五月三一日第三小法廷判決・裁判集民事八三号六二三頁)及び天野武一裁判官(前掲最高裁昭和五一年四月一四日大法廷判決)は、それぞれの意見又は反対意見の中でこの種の訴訟の適法性を疑問視しておられる。特に天野武一裁判官はこれを適法と認めえない理由を関係規定に即して詳細に論じておられるので、この点については同裁判官の意見を援用させていただく。

四  以上のとおり、私は、本件訴訟は公職選挙法二〇四条の定める訴訟にはあたらず、また、他に準拠しうべき法条もないのであるから、これを適法とするに由ないものとして、原判決を破棄し本件訴えを却下すべきであると考えるものである。

(寺田治郎 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 横井大三 木下忠良 鹽野宜慶 伊藤正己 宮﨑梧一 谷口正孝 大橋進 木戸口久治 牧圭次 和田誠一)

選定者目録一 《省略》

選定者目録二 《省略》

選定者目録三 《省略》

選定者目録四 《省略》

上告代理人山本次郎、同畑良武、同廣川浩二、同越山康の上告理由

原判決には、憲法第一四条第一項、同第一五条第二項、同第四三条第一項、同第四四条の各規定の解釈を誤つた違法がある。よつて上告人らは、以下の所論において、原判決の誤謬を指摘しつつ、さらに従来からの主張を適宜補足したいと考える。

一上告人らが原審において、昭和五二年七月一〇日に行われた参議院大阪府選挙区選出議員選挙(以下、本件選挙という)を違憲無効と主張した理由の骨子は、大要次のようなものであつた。

1 公職選挙法別表第二の定めた参議院地方選出議員の定数配分は各選挙区毎の有権者数との比率においてあまりに不均衡であり、右別表にもとづいて昭和五二年七月一〇日に行われた参議院地方選出議員選挙は、各選挙区毎の議員定数と有権者数との割合、つまり各選挙区毎の投票の価値において明白かつ多大な格差が存した。

2 即ち、議員一人あたりの有権者数の最大値神奈川県選挙区の二、二二六九二六と最小値鳥取県選挙区の四二三、〇一四との比率は5.26対1にも及び、本件選挙の行われた大阪府選挙区と鳥取県選挙区との比率も、一、八六九、四八九対四二三、〇一四、つまり4.42対1に達する。

3 右のような格差は、しかしながら、わが憲法の保障する平等選挙において制度上当然に許容されるべき限度を遙かに超えるものである。

4 憲法は、国会議員の選挙については、「正当に選挙され」ること(前文)「全国民を代表する選挙された議員」であること(第四三条第一項)、「人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入」等「によつて差別してはならない」こと(第四四条)を明記しており、これらの条項の最高法規性を定数その他に関する法律委任事項ないし既成事実によつて実質的にゆがめ侵犯するのは、本末顛倒の逆理である。

5 また、参議院議員選挙における国民の平等権保障を衆議院議員のそれの場合に比して軽からしめるがためには、憲法上それなりの合理的理由がなくてはならず、仮りにそれが存するとしても、参議院議員選挙についてなお投票価値の不平等の許容限度「二対一」を超えた差別をすることは許されない。

6 以上を要約して考えると、昭和五二年七月一〇日に行われた参議院地方選出議員選挙は、何らの合理的理由にもとづくことなく、住所(選挙区)の如何により一部の国民を不平等に取り扱つており、明らかに憲法第一四条第一項に違反するものであるから、上告人らは自らが選挙人である本件選挙について違憲無効を求める。

二右の主張に対して、原審は大凡左のように判示した。

1 憲法第一四条第一項に定める「法の下の平等」は、国民すべて法の適用および政治的関係等において平等であり、選挙権に関しては政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向するものであり、それは単に各選挙人が平等に一票を与えられているという選挙権の行使の平等(一人一票主義)にとどまらず、さらに選挙権の内容の平等、即ち、各選挙人の投票の実質的価値の平等、従つて各選挙区の有権者数(人口数)と配分議員定数との比率の平等も憲法の要求するところである。

2 しかしながら、投票価値は選挙制度の仕組と密接に関連しているので、投票の実質的価値の平等は絶対的数学的平等を要求するものではない。また、選挙制度の仕組は選挙された代表者を通じて民意を公正かつ効果的に国政に反映させることを目標とし、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、実情に即して具体的に決定されるべきものであるから、国会議員の選挙に関する事項の具体的決定が原則として国会の裁量にゆだねられている以上、投票の実質的価値の平等についても、これを両議院の選挙制度を決定する唯一絶対の基準としているわけではなく、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものと解すべきである(最高裁判所昭和五一年四月一四日大法廷判決参照)。

3 参議院選挙法別表(公職選挙法別表第二にそのまま引継がれた)に掲げられた参議院地方選出議員の定数配分によれば、当時、栃木県選挙区と宮城県選挙区は人口わずか四万一、五一九人の違いしかないのに定数において二人の差を生じ、また宮城県選挙区における議員一人当りの人口数は下限の鳥取県選挙区のそれの2.62倍に達し、この点は第九一回帝国議会における参議院議員選挙法案の審議において不均衡であると指摘されたが、憲法違反であるとの議論はなく、可決成立をみた。

しかし、その後の人口移動、大都市への人口集中の結果、さらに議員定数の不均衡を生じ、議員一人当りの有権者数(人口数)の下限と上限の開きは拡大し、昭和五二年七月一〇日執行の参議院地方選出議員選挙における実態分析の結果によれば、議員一人当りの有権者数の最も少い鳥取県選挙区に対し、大阪府選挙区は4.42倍、最も多い神奈川県選挙区は5.26倍である。

4 参議院地方選出議員選挙において、具体的にどのように選挙区を区分し、その夫々に幾人の議員定数を配分するかを決定するについては、各選挙区の有権者数(人口数)と配分議員定数との比率の平等が最も重要かつ期本的な基準とされるべきことはもとより当然であるが、それ以外にも実際上考慮され、かつ、考慮されて然るべき要素、即ち、非人口的要素は少くない。

5 非人口的要素の第一は、参議院議員の三年毎の半数改選の制度である。即ち、この半数改選を円滑に行うためには、各選挙区の議員定数を偶数とし、有権者数(人口数)の少い選挙区にも少くとも現行の二人(改選期毎に一人)の議員定数を配分することが簡明であり合理的である。

半数改選は総数において半数であれば足りるから、或る選挙区の議員定数を奇数とすることも考えられないわけではないが、これは極めて煩雑であつて不合理であり、法技術的にも至難である。

6 非人口的要素の第二は、地方選出議員の地域代表的性格である。公職選挙法は二院制の本旨から、全国選出議員のほかに、地域代表的な観点に立つて地方の事情に精通した者を地方選出議員として各都道府県において選出することとしている。

ところで都道府県は、人口密度、住民構成、経済的基盤、交通事情、地理的状況その他の点において多種多様であり、社会の急激な変化の一つの表れとしての人口の都市集中化を議員定数配分にどのように反映させるかも国会における高度に政策的な考慮要素の一つであるが、経済先進地域(過密地域)に対しては後進地域(過疎地域)があり、地方選出議員の定数を単純に人口比率によつて配分すると、いきおい都市偏重の結果になりかねない。以上のような観点からみると、公職選挙法は地方選出議員選挙について、地方自治の根幹をなす都道府県という地域の代表ということ、いわば都道府県そのものを重点に置いており、人口に比例して議員定数を配分することの要請のより強い衆議院議員選挙の場合とはかなり趣きを異にする。

7 このように参議院地方選出議員選挙における議員定数配分の決定には、極めて多種多様で、複雑微妙な政策的および技術的考慮要素(非人口的要素)が含まれており、それらの諸要素のもつ役割は参議院の特異性からみて大きいものと云うべきであるが、これをどの程度考慮するかについてはもとより客観的基準が存在するわけのものではなく、結局は国会の具体的に決定したところがその裁量権の合理的な行使として是認されるかどうかによつて決するほかはない。

8 原告らは、各選挙区における議員定数と有権者数(人口数)との比率の不平等は、特別の合理的事情のない限り「二対一」の比率を超えることは許されないと主張するが、参議院地方区選出議員選挙については、参議院の特異性から定数一人で足りる小県についても二人(改選期毎に一人)を配分しているのであるから、議員一人当りの有権者数(人口数)が最も少い選挙区(下限)を基準として各選挙区の開きを比較すること自体、不合理であり、無意味でさえある。

また仮りに右の比較によるとしても、右「二対一」の比率を超えないよう議員定数を定めるとすれば、地方選出議員の定数を七八人(改選期毎に三九人)増員して二三〇人としなければならず、また「三対一」の比率を超えないよう議員定数を定めるとしても、一四人(七人)増員して一六六人としなければならない。このような大幅な増員は、全国選出議員の定数および衆議院議員の定数との均衡、さらには全国選出議員の性格、参議院の在り方などとも関連して幾多の問題を生ぜしめる。

9 以上のような諸要素、特に参議院の特異性を考慮すると、昭和五二年七月一〇日執行の参議院地方選出議員選挙当時において、議員一人当りの有権者数の最も少い鳥取県選挙区に対し、大阪府選挙区が4.42倍、最も多い神奈川県選挙区が5.26倍に達しているとしても、この程度では未だ投票の価値の不平等が一般的に、つまり客観的・社会的に合理性を有するものと考えられない程度に達しているとみることはできず、立法機関である国会にゆだねられた裁量権の合理的な行使として是認されるものと云うべく、違憲問題を生ずるとは認められない。

10 もつとも、違憲問題を生じないとは云え、参議院地方選出議員について議員定数の不均衡は現実に生じているのであり、幾つかの選挙区の間において当初の有権者数(人口数)が逆転しているのであつて、現行の議員定数をそのまま維持するとしても、一部選挙区の定数を減員し、他の選挙区の定数を増員することによつて逆転区を解消し、各選挙区の議員一人当りの有権者数(人口数)の開きを3.5倍以下に抑えることは可能であるから、国会において可及的速やかにこれが是正の措置を講ずることが望ましい。

三しかしながら、上告人らはこの原判決に対しては、先ず憲法第一四条第一項、ないし同第四四条の平等保障条項の解釈適用を誤つた違法がある、と考えざるを得ないのである。平等保障条項に内在する参政権についての憲法原則の真意を率直に把握することを怠つたがために、原判決は地方選出参議院議員の本質についても地域代表的性格を持つ等と誤判し、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする憲法第一五条第二項や、参議院議員は「全国民を代表する……議員」でなければならないと宣言する同第四三条第一項の明文に違背するに到る。その結果、住所(選挙区)がどこにあるかという関係において一部の国民の参政権を不平等に取り扱つても、それは合理的な差別である、との誤謬に充ちた結論を導くのである。

その判旨に窺われるものは、まことに消極的退嬰的な憲法感覚であると云うの他はない。何となれば、本案で問題となつている投票の実質的価値の平等を憲法上の原則であると確認した部分は、理由二1前段のわずか一ページ(一三行)のみにとどまり、理由の残余部分二〇ページの殆どは、この原則を修正するところの例外の論証、つまり、公職選挙法別表第二の前身たる参議院選挙法別表の制定事情であるとか、さては非人口的要素、国会の裁量権、参議院の特異性等の強調、ないしはこれらを重視する論説に終始しているからである。この意味から、原判決は公職選挙法や既成事実のみに依拠したところの現状肯定論であり、論理が転倒していると非難されても仕方がない。投票の実質的価値の平等を憲法論的、原則論的に追及する判例法の試みと云う高次の観点からは、見るべきものは何もない。

すでに準備書面においても縷々述べたように、選挙権の平等が形骸化し代表機能が病理現象を呈して来ると、それは民主制の変質ないし専主制への接近をもたらすのであるから、上告人らはかような原判決の依つて立つ思想を前にしたとき、わが国の民主政治の将来のために歎かずにはおれない。

国民主権を宣言するわが憲法の下においては、選挙権が国民の最も重要な基本的権利の一であることは云うを俟たないところであろう。それは国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすものであり、それ故にこそ選挙権に附帯した種々の制限や差別も多年にわたる民主政治の発展の過程において次第に撤廃せられ、今日におけるような平等化の実現をみるに至つたのである(最高裁判所昭和五一年四月一四日大法廷判決参照)。

即ち、歴史的にこれを見るならば、特定の選挙人にのみ複数の投票権を与える複数投票制(ベルギー、一八九三年選挙法)ないし大学選挙区(イギリス、一九一八年選挙法)、或いは封建的差別に応じて階級別に選挙を行わしめる等級選挙制(プロイセン、一八四八年選挙法)等の不平等選挙の過程を克服し、数的価値の平等たる一人一票制を獲得後、さらに一歩を進めて結果価値の平等たる投票の実質的価値の平等(選挙人の投票が選挙の結果に平等の政治的影響を及ぼすべきであるとする原則)を確立すべく努力しているというのが現代における選挙権民主化への流れであろう。

それ故、選挙権に関する平等は、この各選挙人の投票の実質的価値の平等が樹立せられてこそはじめて、実現され得るものと考えられる。若し、或る者の一票が他の者の数票に相当する価値を有することになれば、その或る者には数票を、他の者には一票を与えたと全く同じ政治的効果が生じることは自明の理であろう。この意味から、投票の実質的価値の不平等とは、複数投票制の現代的形態に他ならないと云い得るのである。

上告人らが、投票価値の実質的不平等を原則として「二対一」の比率内にとどめるべきであると主張している所以は、素朴な国民感情にもとづく以外の何物でもない。即ち、それは本来ならば当然一人一票対一人一票であるべき国民の権利の内容について、人口の継続的変動とその精密な調査の不可能という、選挙人数と議員定数との比率を数字的に厳密に一致させることの技術的困難さをも考慮し、さりとて一部の国民に一人二票を許すことは受忍し得る限度を超えた不平等ではないかという懐疑を抱きつつ、複数投票制を実質的に否定する意味で導き出したところの基準なのである。

(ちなみにこの「一対一」基準は、昨年秋、大阪弁護士会が日本公法学会所属の公法専攻学者(大学の助手講師以上)に対して国会議員定数問題アンケートを発し、「憲法上容認され得る不平等格差の数量的限界値はどの程度と考えるか」の項で、1対2.0以下と回答した者が有効総数一七七中、一三二もあつた事実からしても、ほぼ学界の多数意見と推定されるのである。なお、衆議院については一六四が、また参議院については一五二が、現行の定数を憲法違反と考えている)。

定数の合理性を判断する客観的基準は何としても必要であろう。何故ならば、それは選挙権の平等な行使を公的に担保する機能を果すばかりでなく、そもそも投票価値の不平等の限界値ないしは許容限度が前提とされてこそはじめて、事案についての恣意を排した違憲合憲の判断が論理的になされ得るからである。

原判決は、本件投票価値の不平等について4.42対1、5.26対1の「この程度では」違憲問題を生ずるとは認められないと論結するが、そう判断するところの基準は何ら示されてはおらず、結局のところ、単なる感覚的ないし印象的判断にもとづいたと云うの他はない。仮りに、裁判所が内心においてさような客観的判断基準を抱懐していたとしても、事案について憲法判断をするにあたりその根拠を明らかにしないのは、選挙権平等を公的に担保する司法の立場として充分に責務を果したものとは云えないのである。

次に、原判決は公職選挙法別表第二の前身たる参議院選挙法別表に掲げられた参議院地方選出議員の定数配分の不均衡に言及して、第九一帝国議会における参議院議員選挙法案の審議の過程で右は不均衡であると指摘はされはしたものの、憲法違反であるとの議論はなく、可決成立をみた云々と論じているが、選挙人の投票価値の不平等が憲法の平等保障条項に違反するという大原則がわが国において公的に確認されるに到つたのは、前掲昭和五一年四月一四日の最高裁判所大法廷判決を以て嚆失とするものである。即ち、右別表制定当初においては、未だその違憲性が顕現されておらず、謂わば右別表は違憲性を潜在せしめたまま、施行の途につかんとしていたと云うの他はない。

この意味において、上告人らは右別表は制定当初においてすでに合憲性の要件を欠いていたものと考える。ただ後日、憲法原則が公的に発見され確認されるに到つたのであるから、あくまでこの上位法規の原則からして先行の下位法規を吟味し、その合憲違憲性を追求するべきであつたと思う。原判決がかような思考方法に依らず、むしろ逆に参議院議員選挙法制定当時の事情背景から、後行の憲法原則を検討望見する態度を採つているのは、裁判所の規範評価の原理に悖るものである。

四憲法が要求する各選挙人の投票価値の徹底した平等化志向と非人口的要素の関係については、上告人らは左のように考える。

先ず第一点として、原判決の基礎は、最高裁判所昭和五一年四月一四日大法廷判決の理由一、選挙権の平等と選挙制度の(一)項および(二)項に置かれているかの如くである。しかしながら、上告人らが原審の準備書面においても強調したように、右昭和五一年四月一四日大法廷判決の理由の一、の(一)項と(二)項の間には次に述べるような看過し難い矛盾があり、殊に右判決理由の一の(二)項における見解は憲法第一四条の解釈を誤つているものと云わなければならないのである。

即ち、右大法廷判決の理由一、選挙権の平等と選挙制度の(一)項においては、「選挙権は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすものであり」「右の歴史的発展を通じて一貫して追求されてきたものは……選挙における投票という国民の国政参加の最も基本的な場面においては、国民は原則として完全に同等視されるべく」「このような平等原理の徹底した適用としての選挙権の平等は、単に選挙人資格に対する制限の徹廃による選挙権の拡大を要求するにとどまらず、更に進んで、選挙権の内容の平等、換言すれば、各選挙人の投票の価値すなわち各投票が選挙の結果に及ぼす影響力においても平等であることを要求せざるをえないものである」「憲法一四条一項に定める法の下の平等は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向するものであり、右一五条一項等の各規定の文言上は、単に選挙人資格における差別の禁止が定められているにすぎないけれども、単にそれだけにとどまらず、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等もまた憲法の要求するところであると解するのが相当である」と判示して、選挙における法の下の平等について憲法上の規範を厳正に、かつ明確に宣言しているのである。

ところが、同判決理由一、(二)項においては、「右投票価値の平等は、各投票が選挙の結果に及ぼす影響力が数字的に完全に同一であることまでも要求するものと考えることはできない。けだし、投票の価値は、選挙制度の仕組みと密接に関連し、その仕組みいかんにより、結果的に右のような投票の影響力に何程かの差異を生じることがあるのを免れないからである」として、「徹底した平等化志向」からの著しい後退を示すとともに、最高法規たる憲法規範が選挙の仕組の在り方を規制する関係があるにも拘らず、現行の選挙制度の仕組という具体的事実が、憲法上の規範的要請を排斥する機能を正当に有するかのごとき態度となつて表現されている。

しかしながら、法の世界においては、規範が法適合性を求めて事実を規制しリードして行くのであつて、事実が規範を規制し法の後退を要求するものではないことは重ねて云うまでもない。右の見解は、この意味でまことに遺憾と云わざるを得ない。かかる後退した解釈態度は、さらに「……両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのである。それ故憲法は、前記投票価値の平等についても、これをそれらの選挙制度の決定について国会が考慮すべき唯一絶対の基準としているわけではなく、国会は、衆議院及び参議院それぞれについて他にしんしやくすることのできる事項をも考慮して、公正かつ効果的な代表という目標を実現するために適切な選挙制度を具体的に決定することができるのであり、投票価値の平等は、さきに例示した選挙制度のように明らかにこれに反するもの、その他憲法上正当な理由となりえないことが明らかな人種、信条、性別等による差別を除いては、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。……」という判示として実現されるに到つている。これは、判決理由一、(一)において、投票の価値の平等は選挙人資格の平等と同等に憲法上要請されているとする解釈と明らかに矛盾するものであろう。また、「徹底した平等化志向」が憲法上要請されている選挙権が議会制民主主義の根幹を構成するものであるならば、「他にしんしやくすることのできる事項」凡てに最優先して、投票価値の徹底した平等に向けて必要な措置が執られて行かなければならないであろう。選挙制度の決定に関し国会に何らかの裁量権があるにしても、投票価値の平等に関しては、それは「徹底した平等化志向」という憲法規範の下における極めて厳しく覊束された裁量の域を出ないものと云わなければならないからである。この点に関し、判決理由一、(一)において鮮明かつ高らかに宣言された憲法解釈が、何故に、判決の理由一、(二)においては換骨的解釈に後退しているのであるか。上告人らが先ず理解に苦しむというのはこの点である。

右の矛盾点については、さすがに判決理由も自覚しており、「もつとも、このことは、平等選挙権の一要素としての投票価値の平等が、単に国会の裁量権の行使の際における考慮事項の一つであるにとどまり、憲法上の要求としての意義と価値を有しないことを意味するものではない」とはしているが、この件りに及んでは、判決理由一、(一)で示された規範宣言の魂は汚泥に塗れ、色褪せていると云うの他はない。即ち、判決理由一、の論理構造は、「投票価値の徹底した平等化志向の肯定」→「投票価値の平等の軽視」→「投票価値の平等の軽視は憲法上の要求としての意義を無視するものではない」と三転しており、一般国民を困惑させるまでに難解なものとなつている。

ところが、原判決は右の大法廷判決の誤つた憲法解釈を鵜呑みにしてこれに全面的に依拠しているのであるから、上告人らはこの際、最高裁判所が右昭和五四年四月一四日の判決の理由一の(一)項において示された正しい憲法解釈がさらに前進徹底されるとともに、司法の厳正と高邁な見識を世に顕現せられんことを切望する次第である。

原判決における憲法解釈の誤りの第二点は、原判決の理由二、3において、「……各選挙区の有権者数(人口数)と議員定数との比率が必ずしも一致せず、その間に格差を生ずるのが通常である」として「とりわけ参議院地方選出議員選挙については、衆議院議員選挙と異なり、半数改選が憲法上の原則であるため、各選挙区に有権者数(人口数)にかかわらず、現行の最低二人(改選期毎に一人)の議員定数を配分しなければならないから、右の格差がさらに拡大することは明らかである。」と判示している点である。

憲法第四六条は「参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する」と定めているが、これは、原判決もその真意を正しく理解しているように、半数改選は総数において半数であることのみが憲法上要求されているのであつて、各選挙区毎に半数改選であることまで要求されているものではないことは明白である。それにも拘らず、原判決が「各選挙区に有権者数(人口数)にかかわらず、現行の最低二人(改選期毎に一人)の議員定数を配分しなければならないから」と固執する憲法上の根拠は一体、奈辺に存在するのであるか。

原判決は、かかる一方的解釈を理由づけるためであろうか、一旦は「参議院地方選出議員選挙において、具体的に、どのように選挙区を区分し、そのそれぞれに幾人の議員定数を配分するかを決定するについては、各選挙区の有権者数(人口数)と配分議員定数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準とされるべきことはもとより当然である」という正しい憲法解釈に立脚しながらも、直ちに「それ以外にも、実際上考慮され、かつ、考慮されてしかるべき要素(非人口的要素)は少なくない」と判示して、憲法尊重解釈から憲法軽視解釈へと、憲法上の根拠が全く不明の理論的変身を示すのである。そうしてさらに、右非人口的要素として、参議院議員の三年毎の半数改選の制度と地方選出参議院議員の地域代表的性格を挙げ、かかる非人口的要素に憲法上の要求に優越するところの効力を付与するのである。これは真に遺憾と云わざるを得ない。

原判決が、非人口的要素の第一として挙げる憲法第四六条の参議院議員半数改選制度の正しい憲法解釈は先に述べたとおりであるが、右判旨は、自ら一旦理解した正しい憲法解釈を放擲し、現行の選挙区割を絶対不可変とする非論理的前提に立脚した上、議員定数を是正して行く公職選挙法の改正作業とこれにもとづく選挙の執行は「きわめて煩雑であつて不合理であり、法技術的にも至難である」として「結局のところ定数配分は半数改選の七六人の定数を基礎として考えなければならない」と論結するに到る。

しかしながら、分割と統合とを含めた選挙区割の変更ならびに議員総数の変更を適宜併用するならば、各選挙区毎に複数の議員定数を配分して憲法が要求している状態にまで是正して行く作業はしかく困難ではない。勿論、その是正過程においては、定数是正が完全に実現されるまでの間、なお違憲状態が残存することにはなろうが、それは合憲状態へと向う過程にあるところの止むを得ざる経過的現象として、憲法上是認され得るものであることは茲に付言するまでもない。

原判決は然るに、憲法の要求に背反するところの不当な前提を設定し、かつ不合理なる是正方法のみを想定して、憲法の枠組から逸脱した矛盾の世界に逃避している。合理であるか不合理であるかの判断基準は唯一つ、憲法規範あるのみである。

さて次は、原判決が非人口的要素の第二として、地方区選出参議院議員の地域代表的性格を挙げている点である。

原判決のかかる立論は、しかしながら、明白かつ重大なまでに憲法に違背しているものと云わなければならぬ。再言するまでもなく、憲法第四三条第一項は「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と宣言し、地方区選出の参議院議員と云えども全国民を代表する議員であつて、地域代表的議員ではないことは憲法規定上明々白々である。云い換えるならば、衆議院であれ参議院であれ、地域代表的議員で組織されてはならないという原則が明定されているのである。

原判決が、地方選出参議院議員をして地域代表的性格を有すると解している前提には「地方選出議員の定数を単純に人口比率によつて配分すると、いきおい都市偏重の結果となりかねない」という配慮があろう。しかし、かかる配慮は個人平等の原理、人格人権の平等原理を前提とするところの議会制民主主義(多数決原理・所謂相対主義)を根底から否定するばかりでなく、後進地域(過疎地域)の経済的利益を代表観念の基礎に把える点において、致命的な理論的誤謬を犯していると云わざるを得ない。それは、土地や動産を代表の基礎と観念していたあの中世封建制度下における利益代表観の現代版である。原判決ははからずも、個々の人格権たる参政の権利を利益代表、利益集団の観念の中で把握していることを告白したものである。

また、都市は都市のみで存続し得るものではない。原判決は、かかる自然的社会的事実に対する認識をも全く欠いている。過疎過密は表裏一体をなすところの社会現象であろう。所謂過疎対策というのも、過密対策と裏腹をなす全国民が一体となつて対処すべき環境是正策であり、かつ、それは具体的には法律事項として把えられるべき次元の問題であるのに、これを選挙権の平等という憲法事項の分野で理解するのは明らかに間違つている。原判決が心配している「都市偏重の結果」と云うがごとき現象が仮りにあり得るとしても、それは憲法解釈の埓外にある社会学的因果の世界に属する問題でしかない。

五このように見て来ると、原判決が重要視するところの非人口的要素なるものは、必要以上に評価されてはならないことが明らかである。にも拘らず、原判決は「きわめて多種多様で、複雑微妙な政策的および技術的考慮要素」と非人口的要素のことを呼び、「それらの諸要素のもつ役割はさきに述べた参議院の特異性からみて、大きいものというべきである」と論ずるのであるが、右文言に依つても明らかなように、非人口的要素の内容は曖昧模糊として、極めて非客観的であり恣意的である。かかる抽象的基準を設定して投票価値の平等を制限するのは、選挙権の要件を客観的に法定化しようとする歴史の流れに逆行するものであろう。

原判決はさらにつづけて、「これらをどの程度考慮して具体的決定にどこまで反映させることができるかについては、もとより客観的基準が存在するわけのものではないから、結局は国会の具体的に決定したところがその裁量権の合理的な行使として是認されるかどうかによつて決するほかはない、」と結論するのであるが、客観的基準もないものについて、国会の裁量権の合理的な行使であるかどうかを、一体、いかなる基準ないし原理にもとづいて判断するのであるか。前述したように、再び裁判所は感覚的ないし印象的判断をなすのであるか。

原判決の云わんと欲するところは、結局において、投票の価値の平等を求める本案のような事案については、裁判所は司法判断をなし得ると云い条、その実、統治行為論を援用しているとしか云い得ないのである。

原判決は、非人口的要素のもつ役割は参議院の特異性からみて大きいと云うが、然らばそれが衆議院と参議院ではどう違うのか。仮りに違つたとしても、どういう原則にもとづいて違うのか。そして、非人口的要素を評価することが、参議院では一体、どの限界まで許されるのか。その許容の理由は何か。裁判所はこれらの問いに答えるべきである。

次に、原判決は「衆議院議員選挙についてはともかく、参議院地方選出議員選挙については、さきに述べたとおり参議院の特異性から、有権者数(人口数)が少なく定数一人で足りる小県についても二人(改選期毎に一人)を配分しているのであるから、右のような基準によつて各選挙区間の開きを比較すること自体、不合理であり、無意味でさえある。さりとて議員一人当たりの有権者数の全国各選挙区の平均を基準として、これとの比較によつてその投票の価値が平等かどうかを判断すべきであるともいいきれない。」などと述べ、右引用文以外にもしきりに参議院の特異性を強調するのであるが、かかる立論は、所謂参議院の特異性なるものが仮りに認められたとしたところで、それは憲法第一四条に優先するものであるという極めて違法不当な議論を導くだけであろう。かようなことでは、各選挙区毎(各選挙人毎)の投票の価値の平等という憲法上の本位的要求は一〇〇%排斥されるだけである。

しかしながら、国民の選挙権に関して、果して衆議院と参議院は異なつた取扱いがなされているのであろうか。

憲法上明定されている両院議員選挙についての異なつた取扱いは、両院議員の任期の差と、参議員の半数改選制度だけであろう。それ以外の事項は凡て、つまり、選挙権の平等(第一四条第一項、第四四条)、全体の奉仕者たること(第一五条第二項)、全国民を代表する選挙された議員であること(第四三条第一項)等において、両院議員選挙は憲法上平等かつ共通に取扱われているのである。

参議院議員の半数改選制については、総議員の半数を三年毎に改選すれば憲法の要求は最低限充たされること、各選挙区毎の議員偶数制の採用は必ずしも憲法上の要求ではないこと等はすでに準備書面において所信の一端を述べた。然るに原判決は、この制度を以て投票価値の不平等を是認する有力な論拠としているが、しかしながら、かかる制度の半面解釈を以て憲法上の大原則である選挙権の平等原理を侵犯するのは牽強附会のきらいがある。

とすれば、原判決云うところの参議院の特異性なるものは、憲法上明文において性格づけられたものではなくして、むしろ参議院選挙法制定の事情や公職選挙法の各規定に依拠したものである。しかも、あくまでそれらは下位法規なのであるから、上位法規たる憲法の要請、就中、投票価値平等の原則と全体の奉仕者であり全国民を代表する国会議員の理念に牴触しないかどうか、検討され再吟味されねばならない。

そうして、若しそれらの原則ないし理念に対して下位法規が悖る部分があるならば、下位法規の方が修正され、憲法の要請にかなうように法規の改正が行われなければならないのである。

国会の裁量権と云うも、右と同様、憲法の原則ないし理念から見て、その濫用が行われていないかどうかを判断されなければならないのである。かような意味で、原判決は全く倒錯した論理を駆使し、その結果、果して逆理を導き出している。

アメリカ合衆国のように、国の政治的伝統として連邦主義を採用し、かつ、合衆国連邦憲法において、人口比例の原則とは全く関係のない各州二名づつの上院の構成を明定しているならばとにかく、わが国の参議院はあくまで第二院たる民選議会にすぎないのであるから、憲法上明定された両院議員に共通の選挙原則をゆがめてまで、参議院の特異性を強調するのは正当な憲法論とは思われない。のみならず、参議院発足当時の院の特色ないし性格づけも現在のところでは、全く影をひそめ、院の実態は変質してしまつている。即ち、名称こそは異るものの、参議院は衆議院と同じ党派代表色そのものである。曾ての緑風会のような理の政治を期待する傾向はもはや見ることはできない。議員は任期六年で、衆議院議員の場合に比し、地位は安定しているはずなのに、なおかつ党派的利害を超えることができないでいる。参議院が今や全くのミニ衆議院であることは公知の事実と云えよう。

原判決は、逆転区の解消について、「国会において、可及的速やかにこれが是正の措置を講ずることが望ましい」と云うが、およそ議員定数是正問題については、立法府がその党利党略のため現状維持に藉口して不平等是正のための努力を怠ることは、これまた公知の事実である。それ故、司法府がこの種事案の判断に介入し、何らかの救済措置を講じないならば、選挙権の実質的平等は遂に百年河清を待つがごとく、この国においては永久に実現できないかもしれないであろう。原判決のような解釈に依るならば、参議院地方選出議員選挙における投票価値の実質的な不平等は何ら改善されることなく、不公正な選挙が行われている国家に対しては国民は不信の念を深めるだけであろう。

しかしながら、若し司法府が本事案に関して警世の辞を内外に宣言し、国会がこれに応えて参議院議員総数の改正作業を進め、右総数の半数づつを改選して行くならば、二回通常選挙を行うだけで、憲法上何らの疑義もなく定数是正をなし得るのである(第一回目の選挙で新しい議員総数の半数を改選するから、第二回目の選挙までの三年間は、残り半数と残存議員数との差が欠員となるが、これは憲法上の要請を実現するための経過措置であるから止むを得ない)。

投票価値の実質的平等に関して、衆議院議員選挙にはこれを要求し、参議院地方選出議員選挙には何ら歯止めをかけずに不平等を野放しにするという跛行的憲法解釈は回避されなければならないであろう。

六およそ最高法規たる憲法の解釈においては、その理論構成が明晰で、かつ直らかであることが最も要請されるところであろう。殊に、具体的事案に対して厳正に法理が宣言されるべき憲法判断においては、可能な限り合法性と違法性の限界を明確にし、より具体的に法をして行為規範を語らしめることこそが判決の生命であると云わなければならない。本案におけるように、憲法の基本原則の一たる国民主権主義が選挙人の国政参加の上で平等に実現されているか否かに関わるような事案にあつては、なおさらこのことは強く要請されるのである。

再述するが、平等の概念は計量的概念であつて、感覚的概念でも悟性的概念でもない。それ故、本案につき合憲違憲いずれの判断をするにしても、許容され得ない投票価値の不平等限界値を論理上前提にせずして、合憲違憲の判断をなし得る余地はないのである。ただ漠然と、かかる不平等程度では憲法違反であるとはいえないなどという従来の感覚的判断では、明晰な概念と理論構成を以て具体的に法規範を宣言するところの司法の使命にむしろ背反するものである。それ故、最高裁判所におかれては、本事案につき規範に即して、許容され得ない不平等限界値と不平等の是正期間を是非とも明確に判示されるよう、上告人らは要請する。かくしてこそ、司法府の規範宣言が国会に対する具体的警鐘となり、従来の例におけるように、国会が不平等是正についての憲法上の行為規範を認識し得ぬまま、是正期間を無為に徒過するという弊を抑止することができると考えるのである。

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